しほうはっぽう

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わかったつもり 〜読解力がつかない本当の原因〜

 

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

 

「本を読む」という行為において、考えられる方向には2種類あるのではないか。

「中」に向けてひたすら掘っていく探検型と、「外」に向けて奔放に飛び回る飛躍型である。未知の内容に対して、文章を論理的に解釈して中を探っていくのが探検型なのに対し、飛躍型とは、「順序や段階をふまずに、急にとびはなれたところに移ること*1」、つまり、論理を飛び越えて妄想が四方八方に飛んでいくのを楽しんでしまうことである。(この読書の定義自体すべて筆者の妄想です。)

この勝手な定義付けからすると、この本は探検型読書をするうえで重要な心構えを、これでもか!と具体的に教えてくれている。どう具体的かというと、この本でとりあげられる例の多くが、小学校の国語の教科書からの引用なのだ。

これはどういうことか?

つまり、小学生レベルの文章にも、わたしたちが「わかったつもり」になって探検していない部分があるということだ。

「わかった」状態は、ひとつの安定状態です。ある意味、「わからない部分が見つからない」という状態だといってもいいかも知れません。したがって、「わかった」から「よりわかった」へ到る作業の必要性を感じない状態でもあるのです。(kindle版 no.367)

 と筆者はいう。この「わかったつもり」の状態を壊し、よりよく読むためにはどうしたら良いのか。 

まず、「わからない状態」とはどういう状態だろう。本書の言葉を借りれば、「わからない」とは、「部分間の関連がついていない」状態である。例えば、以下の例を見てみよう。

布が破れたので、干し草の山が重要であった。(kindle版 no.299)

一読して、まずわからない。なぜわからないかというと、「布が破れた」という部分と「干草の山が重要」という部分の関連が見出せないからだ。

ここに、「パラシュート」と示唆されるとどうだろう。おそらく「パラシュート」と「布」が関連して、「あ、パラシュートの布が破れたんだな」→「そろそろ落下するな」→「干草がクッションになるんだな」と予想が立てられるだろう。これが「わかった」状態である。

この際、無意識にわたしたちは「パラシュートがどんなものか」という知識を使っている。これがスキーマ*2である。

あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識を、心理学、とくに認知心理学では「スキーマ」と呼びます。(kindle版 no.428)

だが、このスキーマ文脈がなければ発動しない。「布が破れたので干草の山が重要」という文章にたいして、「パラシュートが空を飛んでいる」という背景(=文脈)がわかって、初めてパラシュートに関する知識(=スキーマ)が使えるのである。

つまり、わたしたちは常に、「これはなんの話か」という文脈を使ってそれに関連するスキーマを活性化させ、それによって文章を読んでいる。

では、なぜ人は簡単に「わかったつもり」に陥ってしまうのだろうか。これには、文脈が関係している。人は文章を読む過程で、「自分なりの文脈」を作り上げながら読んでいるからだ。自分なりの文脈を使って読むということは、無意識に細部を簡略化したり、都合の悪い部分は読み飛ばしたり、適当に書き換えながら読んでいるということである。

文章をよりよく読むためには、この部分に目を向ける必要がある。能動的に細部に目を向け、矛盾を自ら発見し、理解を再構築していく。理解を再構築する上で、新たな知識や、文章中に書いていない部分の仮定・想像が必要になってくる。そしてこの仮定・想像は他部分との整合性が保たれていれば限りなく自由なのである。

このような制約条件(文章の解釈は無数に存在し得るが、他の部分との整合性がとれていなければならないという条件*3)のもとで、想像を逞しうして、部分間の緊密性を高める想像・仮定を構築しては壊し、また構築していく、これが「よりよく読む」という過程の内実でなければならないというのが、本節の結論です。(kindle版 no.1892)

こういった「わかったつもり」を壊すための具体的な方法も、本書には詳しく書かれています。
最後にわたしの意見を述べておくと、特に気にしておきたいのは、「無関連」の部分だなぁ〜と。

細部に目を向け、そこに「矛盾」や「疑問」が出てきたとき、そこに気づくのは簡単だろう。関連を見出せるまで考え、調べれば良い。だが、無意識に「無関連」のまま処理してしまっている文章のいかに多い事やら。そこに気づくためには、例えば本書でいうと図解して比較してみるとか、ともかく能動的な姿勢が必要になってくる。

ここでちょっとばかり、探検ではない飛躍に移ってみよう。
この本、「読書」のための本なんだけれど、かなりいろんな分野への汎用性を帯びている。

この「わかったつもり」と能動的に戦う姿勢は、映画の分析や、演出する際の戯曲の分析の基礎にもなるだろうし、何より「物事を関連づけていく」姿勢は学びそのものである。

実はこのブログをはじめたのもこの本からの影響(なんでやねん)なので、こういう興味の飛び火もある意味読書の一部だろう。

というわけで、本じゃなくてもいいじゃない。
次の更新では、この本のやり方を通して本ではないものの分析をしてみようと思う。

それにしても読書のまとめ・・・むずかしい!

 

こうの

*1:ひやく【飛躍】の意味 - goo国語辞書

*2:スキーマについて、学びについて、オススメの本です。 

学びとは何か?〈探究人〉になるために (岩波新書)

学びとは何か?〈探究人〉になるために (岩波新書)

 

 

*3:括弧部分は本文からの引用ではなく、このブログでの補足です