フルハウスについて
断捨離のたびに捨てられていくノートたち。
いつかの振り返りのため、ノートに代わりブログを開いてみた。
さて、
デデン。
昨年、20年ぶりの続編「フラーハウス」がNetflixで登場したことで話題のフルハウス。
どこかのサイトでは、”ある世代には、「フルハウス」の名前を聞くだけできゅんとしてしまう人も多いのでは〜!”と形容されていた。わたくしこうの、若干22歳ながら、もうこの画像だけできゅんとしてしまう。
まず、パパ三人がかっこいい。
綺麗好きで背が高くイケメンのダニー、
行き過ぎたお笑い芸人で心優しいジョーイ、
憎めないモテ男のミュージシャンジェシー。
三人ともに、「結婚してくれ〜〜〜!」と叫びたくなるほど素敵な人間だ。
このドラマのすごいところは、まるで自分も家族の一員かのようにタナー家に没入してしまうところにある。このイケメン三人と、心の中で暮らしてしまえるのだ。
これには、子供たち三人の存在が欠かせない。
演技のうまさで心を掴んでくるしっかり者のDJ、
安定感のある盛り上げ係、キュートなステファニー、
そしてなにより、ドラマの進行と同時に圧倒的成長を見せる天使ミシェル。
この三人が精神的にも身体的にも成長をしていく過程を、約200話という壮大なスケールを通して、視聴者は彼らと一緒に経験していく。愛らしい子供たちの人生のターニングポイントを一緒に目撃していく視聴者は、いつの間にか彼らを保護者の目線で見てしまっている。そう、心はもう家族なのである。
「家族という存在に対して抱きたい感情」という点において、ある意味理想である(と私は考える)タナー家。
麻薬のような「あたたかみ」が手放せなくなりそうで、私は今、1日に見る量を制限している。フルハウス、恐ろしい子・・・。
見ていて興味深いのは、これが日本でいうバブル期の作品だということ。作品中に日本の社名など時々登場するたび、「ああ、この頃って本当に日本が世界に注目されていたんだなぁ」と悲しくなる。
今、海外のニュースサイトでJapanの文字を見ること、ほとんどないよなぁ。良い意味か悪い意味かはここでは考えないとして、ほとんどがChinaかKoreaである。
フルハウスを懐疑的に見れば、「家族主義のアメリカが作った、登場人物が全員善人すぎる現実離れした作品」と言えるかもしれない。
でもちょっと待て、それでいいじゃないか。
こんなに丁寧に人生の転機を思い出させてくれる作品、他に出会ったことない。登場人物は全員善人かもしれないが、現実だって、大抵の人は善人である。その中でみんな悩んでいるのだ。
フルハウスだって、DJの女の子としての悩みはキラキラなんかしていない。むしろ今のわたしとそっくりだったりする。ジェシーとジョーイが夢叶わずなところも見逃せない。彼らはアメリカンドリームからは程遠く、むしろ「ほどほどに生きること」「今に感謝すること」の大切さを知っている。
まだまだ8シーズン見終わってないが、今やジョーイが大舞台に立つだけで泣いてしまう私である。
ゆっくりと彼らの成長を味わいながら、もうしばらく一緒に暮らさせてもらいます。
こうの